まどか マギカ 叛逆 の 物語 考察

13.07.2022
vonenezehawefodiwypisuqyvek

16/05/ · 年5月gw中に初めてまどかマギカを見ました。そしてドハマリしこの気持ちを世間様にぶつけたく、また最後のシーンについて納得のいく考察がなかったのでこの記事を書くためだけにブログを開設しました。(無料ブログなのでいずれ消されるかもしれません・・・) まずはこのシーンから Estimated Reading Time: 4 mins

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ただし、まどかは、ほむらの思い通り、神であることを忘れた存在として、ほむらの妄想の中に登場していた。 さやかだけは、円環の理側から連れてこられ、ほむらの思いによる修正も受けなかったため、状況を把握していた。. さやかも、まどかに救済された。 世界は再編され、魔女はいなくなり、代わりにマジュウとの戦いが行われていた。魔女に倒されたマミや杏子も死んでいないことになったが、ほむら以外(マミ、杏子)はまどかの存在の記憶もなくしていた。 ほむらはキュウべぇに、まどかの事を話した。. まどかの存在を知るのは本人であるまどかと、まどかが人であった世界の記憶を持つほむらだけです。 依ってまどかの存在する世界を捏造出来るのはほむら当人だけです。 つまり結界を張った魔女は暁美ほむら自分自身であるということです。. 結果として、美樹さやか・百江なぎさは人間としての蘇生を果たしていますし、魔法少女は魔女になる前に消滅するシステムは残っているため、魔獣編の世界よりも多少良くなった面もあります。  一方で、暁美ほむらはすべての魔法少女と敵対する結果となりましたが、彼女自身は意外と未練を捨てきれていない節もあります。前述のpixiv百科事典の記事のとおりですが、巴マミ・佐倉杏子・美樹さやかに干渉する場面は、使い魔の行動の方が暁美ほむらの心情を表しているという解釈があり、私も概ねそれに賛成です。鹿目まどかにリボンを返し、涙するような人物が、間違いなく大切に思っていた魔法少女たちと綺麗さっぱり決別できているとは思いにくいのです。.

もちろん、魔女の結界の張本人がベベであると断定し、ベベを傷つけることを厭わない描写は、巴マミに直接ではないにしろ危害を加える行為であり、敵対されても仕方のないことであり、人格や品性を疑う行為ではあります。特に、巴マミ自身に相談もなくいきなり武力行使に出る姿勢は、対人関係において誠実な姿勢であるとは言えないでしょう。  ここで思い出すべきなのは、暁美ほむらは劇場版前後編における時間遡行者であり、魔法少女たちへ説得を試みた経験もあるということです。しかし彼女の言葉を信じるならば、その結果は「誰も耳を貸さなかった」のであり、事が起きる前に説得が完了することは一度もなかった。ならば武力行使しかない。たとえ恨まれたとしても、先に手を打つことで今起きようとしている犠牲が防げるならば構わない。そう彼女は考えたのです。.

ただし、目的は、あくまで、まどかの救済であった。 キュゥべえの狙いをまどかにつけさせず、かつ、まどかの孤独を救うためであった。 だから、まどかが、自分の役割を思い出そうとすると、必死に妨害した。 ほむらは、いずれまどかと対峙することになることを予想しつつ、彼女の願いはあくまでもまどかの幸せであった。.

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同じ教室に神様と悪魔がいっしょにいる学校は ちょっと面白いですよね。 これを手がかりにして様々な人が新しい物語を つくってもらえればうれしいですね。 誰もがその続きを考えたくなるような作品。 そういう作品にしたいと思っていたんです。. このシーンで流れる劇伴は、結界の中の世界でしか流れない、劇中歌『まだダメよ』のアレンジ であり、現実には起こっていない夢の描写の可能性があります。  そして、暁美ほむらが座っている椅子は、5. 暁美ほむらの前にはたびたび、「過ちを繰り返さない(犠牲を出さない)」ことと「目の前の人の現在の感情を重んじること」という天秤が現れ、そして彼女は多くの場合、犠牲を出さないことや、鹿目まどか自身を守ることを選ぶのです。  暁美ほむらはあくまで、「あなたは鹿目まどかに関わる人間だから、危害は加えないよ」という損得勘定だけで動く人物ではありません。上述の通り相手に対して申し訳ないと思う気持ちは十分持っており、しかしそれよりも「過ちを繰り返さない」ことが重要であると考えているのです。これはループによる独特の価値観であり、やり直しの存在しない我々の世界からその常識を理解するのは難しいかもしれません。.

では暁美ほむらは、インキュベーターの言葉の何に恐怖し、何を敵と見做しているのでしょうか。それは恐らく、インキュベーターが暁美ほむらの感情を誑かし、願いを挫折させようとする動きを見せていることに対して、恐怖を感じているのです。「 ここで救済を拒んだら、鹿目まどかには二度と会えないぞ 」。それは、 「鹿目まどかの願いを守る」という決意をしている暁美ほむらにとっても、蠱惑的で、抗う勇気と力の必要な、身を裂かれるような提案なのです 。だって彼女は本心で、「鹿目まどかの願いを守る」と「鹿目まどかと一緒にいたい」が共生しつつあるのですから。. 長大な記事に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。深く感謝申し上げます。7年遅れで、しかも他人の褌で考えを述べているだけの記事ですが、何か色々と抵触していればご指摘ください。  とりあえず現時点でまとめる感想としては納得が行ったので、また別の考えを巡らせることにします。.

1 - 暁美ほむらの最初の質問

かなり引いたところからこの場面を見れば、「円環の理を経験した記憶のある鹿目まどかがそう答えるならともかく、その記憶さえ持たない人間としての鹿目まどかの言葉を鵜呑みにするのは早計すぎないか」と言いたくもなるものです。ですが、ここまで述べた通り、暁美ほむらは誰もが経験したこともないような時間遡行を経て、願いの対象である鹿目まどかが今どうなっているのか確認もできないまま一人で戦い続けており、そんな中ようやく現れた生身の鹿目まどかの言葉を信じるのはある種当然のことでもあると思うのです。そして、鹿目まどかの「一人は耐えられない」という言葉も、嘘偽りや虚言ではなく、あくまで真実の一側面ではある。  そうして暁美ほむらは、自分の苦しみの自白の時よりも、ひときわ大きな涙を流してこう考えるのです。. 新卒でいきなりブラック企業に入社してから数々のブラック企業を渡り歩いた途中でどさくさに紛れて営業マネージャーをやったり新規事業の立ち上げ等を行っていました。 投稿はその都度、興味の湧いたものを書いています。 他の投稿を表示.

次の投稿 次の投稿: 「劇場版 魔法少女まどか マギカ[新編]叛逆の物語」感想というか見ていて思ったこと「嘗ての記憶」. 引用するにはまずログインしてください ログイン 王子 覚醒. QA集 1.なぜ、前作のお菓子の魔女だけ、べべとして再登場したのか。 お菓子の魔女は、劇場版 叛逆の物語では、「ベベ」として再登場している。また、人間形態として「百江なぎさ」となる。.

暁美ほむらは歴史をやり直すことで鹿目まどかの願いを叶えることを約束します。そもそも、暁美ほむらがここまで尽くせるのは、 「彼女(まどか)に守られる私じゃなくて、彼女を守る私になりたい」という契約の願い や、それを持つに至った、 1周目の優しいまどかとの記憶 にあり、そんな暁美ほむらの記憶は周回していくごとに薄れて行ったり、逆に強く積層していく過程を繰り返すのです。. 人は心底理解することができない物事に関しては、怒りを通り越して呆れるものです。呆れて、冷酷な目線を向けて、対象を滅ぼすことだってできます。ですが、暁美ほむらは終始インキュベーターの言葉に怒りを露わにしています。それは魔女の呪いを募らせることでしかインキュベーターを止められなかった、というの他に、 暁美ほむらにとってインキュベーターの言葉が、ある程度の図星を突いており、感情を増幅させなければその指摘に負けてしまうという恐怖を確かに認めているからこそ、彼女は怒るのだと思うのです 。.

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この飛び降りについて語る前に、エンディングを思い出してください。まどかが左側ほむらが右側で描かれており、左から右へ背景も移り変わっていき時の流れを示し最後には手をつないで二人で走り出します。このエンディングはただのエンディングではなくまどかとほむらが敵対することなく二人仲良く過ごしたことを示しています。僕はここを声を大にしていいたいのですが、 ほむらは決して孤独ではなかった。確かにまどかと幸せな日々があったのです。. 巴マミの銃撃戦後に、美樹さやかは忠告します。「 これってそんなに悪いことなの?誰とも争わず、みんなで力を合わせて生きていく。それを祈った心は、裁かれなきゃならないほど、罪深いものなの? 」結局暁美ほむらは、自ら真相に迫ることで、傍目には愚かに見えるほど、幸せな夢を崩壊させてしまうのです。そこをインキュベーターが指摘します。.

QA集 1.なぜ、前作のお菓子の魔女だけ、べべとして再登場したのか。 お菓子の魔女は、劇場版 叛逆の物語では、「ベベ」として再登場している。また、人間形態として「百江なぎさ」となる。. 長大な記事に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。深く感謝申し上げます。7年遅れで、しかも他人の褌で考えを述べているだけの記事ですが、何か色々と抵触していればご指摘ください。  とりあえず現時点でまとめる感想としては納得が行ったので、また別の考えを巡らせることにします。. エンドロール後の最終パートは、「流石に自殺ではないだろう」という解釈が多々見受けられました。今は、私もそう思っています。  暁美ほむらが自殺するとすれば、「自分は鹿目まどかのためには必要がないと確信した」のであれば納得ができます。しかしこの場面に至るまで強い意志をもって「鹿目まどかの幸せは、人間としての生活だ」と確信して行動した暁美ほむらが、円環の理へと戻りかけた鹿目まどかや、「欲望よりも秩序が貴い」という鹿目まどかの発言だけで、「人間としての生活がまどかにとって幸せ、というのは間違っていた」という確信に至るとは思えません。まだ暁美ほむらは、鹿目まどかと敵対してでも彼女が幸せになるよう尽くすと思うのです。.

このシーンで流れる劇伴は、結界の中の世界でしか流れない、劇中歌『まだダメよ』のアレンジ であり、現実には起こっていない夢の描写の可能性があります。  そして、暁美ほむらが座っている椅子は、5.


劇場版魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語 あらすじ

世界が再構築された後として描かれる劇場版後編のエピローグ(魔獣編)では、暁美ほむらは鹿目まどかの選択を、一度は納得を以て受け入れています。  劇場版後編から劇場版新編に至るまでの時間は「魔獣編」としてコミカライズされていますが、アニメーション作品として描かれるのは前後編と新編のみで、魔獣編の時間は「鹿目まどかのいない世界で、長い間戦い続けた暁美ほむらと残された魔法少女たち」という文脈しか持っていません。しかしパッと設定を見たところ、魔獣も相当に強力な存在であり、精神を強く持たないと敗れてしまう危険性があることから、張り詰めた戦いを長く続けていたことは間違いがなさそうです。そんな中で暁美ほむらは、ただ「鹿目まどかの守ろうとした世界ならば」と信じ続け、戦い続けるのです。.

視聴者の心理としては、劇中描かれる暁美ほむらの行動に対して、「よりよい方法があるのでは」「誰も犠牲にしない結末をなぜ選ばないのか」という疑問が生まれるものです。そうして、それが原因で暁美ほむらを「願いに忠実すぎて周囲が見えない過激な人物」としてしまうことが度々起きます。確かに、一対一で彼女に向き合えば、自分に危害を加える可能性がある。得体が知れない。怖い。そうでしょう。しかし、忘れてはならないのは、 我々の(おそらく)誰もが時間遡行など経験もしたことのない人間であり、その前提が正しければ、たとえ暁美ほむらの苦しみに準ずるものを経験したことがある、と考えているとしても、暁美ほむら自身の境遇をちゃんと理解できる人物など現実のどこにも存在しないということです 。  「何も知らないくせに」という言葉は、創作の世界だけでなく現実の世界でも時折耳にします。例えば我々が暁美ほむらと同じ境遇にあったとして、我々は愚直に「誰も死なない世界を実現する」ことと「目の前で気付かぬままに犠牲になろうとしている仲間を救うこと」の両者を、いつだって選択できるのでしょうか。同じ境遇に立った時、徹頭徹尾正しい選択をすることなどそもそも困難で、ましてやある程度の人(私自身も含めて)は、足が竦んで動けないか、舞台から降りて諦めることになると、私は思うのです。.

TV版魔法少女まどかマギカおよび、その総集編である劇場版(前編/後編)に続く完全新作である。 感想(ネタバレなし) 面白かったです。なんといっても、映像が凄かった。総集編のときも、大画面で魔女たちの幻想的な光景が見たくて映画館行ったのですが、あまりテレビと変わった感じがしませんでした。 しかし、今回は、最初から映画向けに作られているせいか、すごい迫力かつ幻想的な映像美でした。 ストーリーも、何がどうなっているのかわからない展開が続き、楽しめました。 話がわかりづらい点も多々ありましたが、パンフを読めば大体わかりました。 パンフ買っていない人や、読んでもよくわからなかった人もいると思いますので、以下、あらすじを解説します。 -- 以下、ネタバレあり -- 以下、解説付きのあらすじ。 前回の話の確認 前作で最終的に、まどかは、すべての魔法少女の悲劇をなくすため、神のステージへとあがった(アルティメットまどか)。 アルティメットまどか。複製原画展より さやかも、まどかに救済された。 世界は再編され、魔女はいなくなり、代わりにマジュウとの戦いが行われていた。魔女に倒されたマミや杏子も死んでいないことになったが、ほむら以外(マミ、杏子)はまどかの存在の記憶もなくしていた。 ほむらはキュウべぇに、まどかの事を話した。 叛逆の物語の前半 ほむらの結界 キュウベぇは、まどかの存在を確認し、その力を利用できるように、ほむらを使うことを思いついた。 そして、ほむらを外部から検知できない干渉遮断フィールドに閉じ込め、かつ、ほむらが魔女化しても自我を失わないようにソウルジェムを加工し、割れないようにした。 それにより、ほむらがまどかを自分から引き込むのを観測できるようにした。 ほむらは、まどかの願い(全ての魔女を発生させなくする)が通らない干渉遮断フィールドの中で、ソウルジェムの中で魔女となり、自分の結界を張り、願望を実現させていた。 --ここから映画の冒頭-- ほむらが自分の結界の世界で妄想したのは、また、5人で仲良く敵と戦う世界である。 ほむらは、そのために敵としてナイトメア(悪夢)と戦う世界を設定した。 魔女じゃなくて、こんな敵と戦っていればよかったのに・・ という思いがあった(パンフの虚淵さん発言)。.

長大な記事に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。深く感謝申し上げます。7年遅れで、しかも他人の褌で考えを述べているだけの記事ですが、何か色々と抵触していればご指摘ください。  とりあえず現時点でまとめる感想としては納得が行ったので、また別の考えを巡らせることにします。.

で飛び降りのシーンですが、まどかのいなくなってしまった世界でも再びまどかと会う方法が一つだけあります。円環のまどかですね。 魔法少女 は絶望すると穢れがたまり魔女となります。魔獣の世界は魔女となる前に円環に導かれる世界です。 ソウルジェム と円環の力の一部が封印されたダークオーブが砕けるとき封印されていた円環と本体の円環がリンクし、円環のまどかに導かれる可能性は十分あると思います。.

新編のホムリリィ(暁美ほむらの魔女)戦において美樹さやかが「夢っていうほど、悲しいものじゃないよ、これ」と述べていますが、これは円環の理に導かれて過去未来全ての魔法少女を救う役目を負って、誰にも認知されない境遇に追いやられたとしても、意外と悪くないもんだよ、と言っているのだと思うのです。また、悪魔ほむらも、「今日まで何度も繰り返して、傷つき苦しんできた全てが、まどかを思ってのことだった。だからこそ、今はもう痛みさえ愛おしい」と述べており、これは美樹さやかの台詞に通じるところがあると思うのです。どれだけ悲しく辛いことも、行き着いた先の結末が絶望であるとしても、何かを想いその繁栄と幸福を願う最後ならば、暁美ほむらのように、笑って終われるのではないか、なんて、希望的な観測までもが出てきます。恐ろしく利己的な考えですが、まあ、利己的であろうと他人行儀であろうと、結局どっちがより良いかという本質はそこにはないので、「愛」を妄信する考えも良い面はあるのかもしれません。  世の中、上手い話は「意外と良いもんではないよ」というものですし、全然良くないことに見える結末も「意外と悪くないものだよ」ということがあると思うのです。だからこそ、苦しみに立ち向かうのも、本当の願いのためならば、案外得られるものがあって悪くないな、と思います。.

叛逆の物語 後半 ほむらの悪魔化 ほむらは、自分がキュゥべえ達、インキュベーターに利用されていることに気づく。 そして、自分がまどかに助けを求めると、キュゥべえにまどかが補足され、利用される可能性があること、つまりキュゥべえの狙いはまどかであることがわかる。 それを避けるため、ほむらは、閉じ込められた空間内で、魔女と化すことを望む。そうすれば、まどかに気づかれることもないからである。 しかし、他のメンバーの支援により、ほむらは解放され、アルティメットまどかが救済に訪れる。 しかし、ほむらは、まどかに救済されることを望まず、アルティメットまどかのパーソナルな部分を自分に取り込む。 なぜそうしたかというと、ほむらは、自分の妄想空間に現れたまどかとの対話のなかで、まどかのつらさを知り、自分が肩代わりしたいと思っていたからである。 神の力を取り込んだほむらは、神と対等の力を持つ自分を悪魔と位置付ける。キュゥべえは、その力が自分たちで太刀打ちできないものであることを知る。.

なので、ほむらは まどかのいないこの世界に絶望していたと思いますが 、まどかにまた 会いたくて自殺を選んだのだと思います。. そうして暁美ほむらは、鹿目まどかの「キュゥべえに騙される前の私を助けてほしい」という願いや、まどかが守ろうとした世界を守るために戦う決意をした時と同様、また決意を新たにするのです。  鹿目まどかの本当の幸せのために、彼女を人間の姿に戻すことを。  しかし登場人物の誰もが、本当にそれを実行するその時まで、暁美ほむらの内心に気付かないままです。それはきっとその想いが、損得勘定や正常な判断を時には無下にするほどのものであり、希望でも絶望でもなく、本人以外の誰にだって理解することがあまりに難しい、愛と呼ぶべき衝動だからです。.


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前後編の後に円環の理によって再構築された世界でも、それ以前と同様、魔法少女の魔女化のトリガーは、 内省的な一人の世界の中での自問自答、自己嫌悪が極まった瞬間 のように描写されています(設定上は『穢れ』が溜まっていくということですが、穢れの正体は募っていく悪意と見受けられるため、最終的には「自分自身に呪いを募らせる」と同義になります)。  新編の前半部である暁美ほむらの作り出した世界は、前後編と魔獣編の時間を休まることなく戦い続けた彼女にとって、いわば「休息」とも呼べるような、夢の時間であったのです。  暁美ほむらはようやく、自己の内省の世界である魔女の結界の夢の中で(インキュベーターの観測実験によって成り立ったものであるとはいえ)、 自身の気持ちに折り合いをつける時間を作ることができた 、ということです。 まるで、折り合いのつかないまま自分を納得させ続けたその限界に至る前の、最後の自己防衛のように。  しかし暁美ほむらは、これが自分の作り出した世界だとは知らぬまま、こう考えるのです。.

ですが一つ言えるのは、悪魔はちゃんと人間なのです。生まれながらにして善人・悪人であるという性善説・性悪説の二元論に当てはめることはできません。「同じ人間とは思えない」としても「同じ人間である」ことを認めざるを得ません。暁美ほむらは冷血で人の心を持たない化け物などではなく、痛みや苦しみを分かち合える一人の人間でした。これだけは理解を拒もうとしてもどうしようもないのです。彼女が代弁した通り、人間の持つ「愛」とは、希望や絶望、善悪や損得を鑑みない狂った衝動であり、それは評価されるよう利用することもできれば、エゴイズムの極みであるかのようにふるまい他者を傷つけることもできますし、また、我々の誰もが持ちえる可能性を持っています。  究極的なことをいえば、愛とはエゴの表れであり、エゴのない人間は人間足り得ない。人は時折誰かを傷つけ、誰かを害し、時には誰かを助け、誰かと共生することになる。多くの人にとって価値基準とは、「正しいか、正しくないか」ではなく、「気持ちいいか、気持ち悪いか」でしかないのです。だからといって、彼女の罪が消えてなくなるわけでは決してありませんが。.

長大な記事に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。深く感謝申し上げます。7年遅れで、しかも他人の褌で考えを述べているだけの記事ですが、何か色々と抵触していればご指摘ください。  とりあえず現時点でまとめる感想としては納得が行ったので、また別の考えを巡らせることにします。. 結界内を観測することでQべえは鹿目まどかという世界と因果関係のない人間を見つけることは出来ましたが、それが円環の理である鹿目まどかなのか、それとも結界の中に作り上げられたほむらの仮想現実に過ぎないのか区別が出来ていない状態です。 その為にインキュベーターは結論を出すことが出来ず手を出すことも出来ずに結界内で展開される、言ってみれば魔法少女ごっこに付き合わされる羽目に陥っています。.

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まどかの存在を知るのは本人であるまどかと、まどかが人であった世界の記憶を持つほむらだけです。 依ってまどかの存在する世界を捏造出来るのはほむら当人だけです。 つまり結界を張った魔女は暁美ほむら自分自身であるということです。. 結果として、美樹さやか・百江なぎさは人間としての蘇生を果たしていますし、魔法少女は魔女になる前に消滅するシステムは残っているため、魔獣編の世界よりも多少良くなった面もあります。  一方で、暁美ほむらはすべての魔法少女と敵対する結果となりましたが、彼女自身は意外と未練を捨てきれていない節もあります。前述のpixiv百科事典の記事のとおりですが、巴マミ・佐倉杏子・美樹さやかに干渉する場面は、使い魔の行動の方が暁美ほむらの心情を表しているという解釈があり、私も概ねそれに賛成です。鹿目まどかにリボンを返し、涙するような人物が、間違いなく大切に思っていた魔法少女たちと綺麗さっぱり決別できているとは思いにくいのです。.

Proudly powered by WordPress. ただし、まどかは、ほむらの思い通り、神であることを忘れた存在として、ほむらの妄想の中に登場していた。 さやかだけは、円環の理側から連れてこられ、ほむらの思いによる修正も受けなかったため、状況を把握していた。.

作品の話題に入りましょう。単刀直入に言って、『叛逆の物語』(新編)は暁美ほむらが主人公であり、彼女が最もクローズアップされた作品であると考えています。前後編の彼女は、「まどかに守られるでなく、まどかを守りたい」の願い一つで、幾度も平行世界の見滝原をループします。  メタな視点で言えば、年にこの作品が放映されてから年の現在に至るまで、我々は様々なタイムリープもの・スターシステムの作品を鑑賞してきており、もはや見慣れた世界観に成り果てているかもしれません。それでも忘れてはならないのは、平行世界を何度もループすることは、キャラクターに対して、以下の点で大きな負担があるということです。. しかし、ほむらは、この世界が本当ではないことに気づく。 そもそも、敵がマジュウではなくナイトメアである。 まどかの存在を知らないはずのマミや杏子がまどかを知っている点など、おかしい点があるからである。.

前後編の後に円環の理によって再構築された世界でも、それ以前と同様、魔法少女の魔女化のトリガーは、 内省的な一人の世界の中での自問自答、自己嫌悪が極まった瞬間 のように描写されています(設定上は『穢れ』が溜まっていくということですが、穢れの正体は募っていく悪意と見受けられるため、最終的には「自分自身に呪いを募らせる」と同義になります)。  新編の前半部である暁美ほむらの作り出した世界は、前後編と魔獣編の時間を休まることなく戦い続けた彼女にとって、いわば「休息」とも呼べるような、夢の時間であったのです。  暁美ほむらはようやく、自己の内省の世界である魔女の結界の夢の中で(インキュベーターの観測実験によって成り立ったものであるとはいえ)、 自身の気持ちに折り合いをつける時間を作ることができた 、ということです。 まるで、折り合いのつかないまま自分を納得させ続けたその限界に至る前の、最後の自己防衛のように。  しかし暁美ほむらは、これが自分の作り出した世界だとは知らぬまま、こう考えるのです。.

TV版魔法少女まどかマギカおよび、その総集編である劇場版(前編/後編)に続く完全新作である。 感想(ネタバレなし) 面白かったです。なんといっても、映像が凄かった。総集編のときも、大画面で魔女たちの幻想的な光景が見たくて映画館行ったのですが、あまりテレビと変わった感じがしませんでした。 しかし、今回は、最初から映画向けに作られているせいか、すごい迫力かつ幻想的な映像美でした。 ストーリーも、何がどうなっているのかわからない展開が続き、楽しめました。 話がわかりづらい点も多々ありましたが、パンフを読めば大体わかりました。 パンフ買っていない人や、読んでもよくわからなかった人もいると思いますので、以下、あらすじを解説します。 -- 以下、ネタバレあり -- 以下、解説付きのあらすじ。 前回の話の確認 前作で最終的に、まどかは、すべての魔法少女の悲劇をなくすため、神のステージへとあがった(アルティメットまどか)。 アルティメットまどか。複製原画展より さやかも、まどかに救済された。 世界は再編され、魔女はいなくなり、代わりにマジュウとの戦いが行われていた。魔女に倒されたマミや杏子も死んでいないことになったが、ほむら以外(マミ、杏子)はまどかの存在の記憶もなくしていた。 ほむらはキュウべぇに、まどかの事を話した。 叛逆の物語の前半 ほむらの結界 キュウベぇは、まどかの存在を確認し、その力を利用できるように、ほむらを使うことを思いついた。 そして、ほむらを外部から検知できない干渉遮断フィールドに閉じ込め、かつ、ほむらが魔女化しても自我を失わないようにソウルジェムを加工し、割れないようにした。 それにより、ほむらがまどかを自分から引き込むのを観測できるようにした。 ほむらは、まどかの願い(全ての魔女を発生させなくする)が通らない干渉遮断フィールドの中で、ソウルジェムの中で魔女となり、自分の結界を張り、願望を実現させていた。 --ここから映画の冒頭-- ほむらが自分の結界の世界で妄想したのは、また、5人で仲良く敵と戦う世界である。 ほむらは、そのために敵としてナイトメア(悪夢)と戦う世界を設定した。 魔女じゃなくて、こんな敵と戦っていればよかったのに・・ という思いがあった(パンフの虚淵さん発言)。.

しかし、ほむらは、この世界が本当ではないことに気づく。 そもそも、敵がマジュウではなくナイトメアである。 まどかの存在を知らないはずのマミや杏子がまどかを知っている点など、おかしい点があるからである。. 前後編の後に円環の理によって再構築された世界でも、それ以前と同様、魔法少女の魔女化のトリガーは、 内省的な一人の世界の中での自問自答、自己嫌悪が極まった瞬間 のように描写されています(設定上は『穢れ』が溜まっていくということですが、穢れの正体は募っていく悪意と見受けられるため、最終的には「自分自身に呪いを募らせる」と同義になります)。  新編の前半部である暁美ほむらの作り出した世界は、前後編と魔獣編の時間を休まることなく戦い続けた彼女にとって、いわば「休息」とも呼べるような、夢の時間であったのです。  暁美ほむらはようやく、自己の内省の世界である魔女の結界の夢の中で(インキュベーターの観測実験によって成り立ったものであるとはいえ)、 自身の気持ちに折り合いをつける時間を作ることができた 、ということです。 まるで、折り合いのつかないまま自分を納得させ続けたその限界に至る前の、最後の自己防衛のように。  しかし暁美ほむらは、これが自分の作り出した世界だとは知らぬまま、こう考えるのです。.

投稿者: 悲しい笑い 新卒でいきなりブラック企業に入社してから数々のブラック企業を渡り歩いた途中でどさくさに紛れて営業マネージャーをやったり新規事業の立ち上げ等を行っていました。 投稿はその都度、興味の湧いたものを書いています。 他の投稿を表示. 叛逆の物語 後半 ほむらの悪魔化 ほむらは、自分がキュゥべえ達、インキュベーターに利用されていることに気づく。 そして、自分がまどかに助けを求めると、キュゥべえにまどかが補足され、利用される可能性があること、つまりキュゥべえの狙いはまどかであることがわかる。 それを避けるため、ほむらは、閉じ込められた空間内で、魔女と化すことを望む。そうすれば、まどかに気づかれることもないからである。 しかし、他のメンバーの支援により、ほむらは解放され、アルティメットまどかが救済に訪れる。 しかし、ほむらは、まどかに救済されることを望まず、アルティメットまどかのパーソナルな部分を自分に取り込む。 なぜそうしたかというと、ほむらは、自分の妄想空間に現れたまどかとの対話のなかで、まどかのつらさを知り、自分が肩代わりしたいと思っていたからである。 神の力を取り込んだほむらは、神と対等の力を持つ自分を悪魔と位置付ける。キュゥべえは、その力が自分たちで太刀打ちできないものであることを知る。.

この話を基にしてインキュベーターは実験を行います。 ほむらの言う通り魔法少女を魔女化出来ればエネルギー回収の高効率化が図れる。 その為には円環の理を観測する必要がある。 自然発生的に魔法少女が消滅するのでなければ魔法少女が消滅寸前に外部からの影響を完全に遮断した中に置けば、円環の理からの影響を受けないため魔女化する。 実際に環境遮断フィールドの中で魔女化したほむらは結界を展開した。 その中では独自の法則に支配された閉鎖空間が展開された。 そして結界内部には誘導があれば犠牲者として入ることが出来る。 その中に世界と一切の関わりのない者が円環の理である鹿目まどかであると考えられます。.

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かなり引いたところからこの場面を見れば、「円環の理を経験した記憶のある鹿目まどかがそう答えるならともかく、その記憶さえ持たない人間としての鹿目まどかの言葉を鵜呑みにするのは早計すぎないか」と言いたくもなるものです。ですが、ここまで述べた通り、暁美ほむらは誰もが経験したこともないような時間遡行を経て、願いの対象である鹿目まどかが今どうなっているのか確認もできないまま一人で戦い続けており、そんな中ようやく現れた生身の鹿目まどかの言葉を信じるのはある種当然のことでもあると思うのです。そして、鹿目まどかの「一人は耐えられない」という言葉も、嘘偽りや虚言ではなく、あくまで真実の一側面ではある。  そうして暁美ほむらは、自分の苦しみの自白の時よりも、ひときわ大きな涙を流してこう考えるのです。.

で飛び降りのシーンですが、まどかのいなくなってしまった世界でも再びまどかと会う方法が一つだけあります。円環のまどかですね。 魔法少女 は絶望すると穢れがたまり魔女となります。魔獣の世界は魔女となる前に円環に導かれる世界です。 ソウルジェム と円環の力の一部が封印されたダークオーブが砕けるとき封印されていた円環と本体の円環がリンクし、円環のまどかに導かれる可能性は十分あると思います。. 既に多くの考察で語りつくされていることですが、このシーンは明確に、 暁美ほむらにとって「自身の願いの内容の確認」にあたる質問であり、それに対し鹿目まどかは「ほむらちゃんが泣いてしまうような孤独を選ぶ勇気なんか、私にはない」と答える。  つまりは、1.

結界を作ったのは誰か? 魔女が結界を作る本来の目的は外部から被害者を誘導して捕獲することです。 結界は広大ですが人間に危害を加えず、魔法少女達を閉じ込めているだけです。 今のところ誰も被害を受けておらず、その目的は現状維持のように見受けられています。. とはいえ、何を考えているか分からないうちに自分の大切なものを傷つける人物に対し、人間は「怖い」という感情を抱いて然るべきです。劇場版新編のキュゥべえのように、恐ろしく、とても扱えないものからは距離を取ろうとするのが普通です。そうでなければ身の危険があり、滅ぼされるかもしれないからです。  しかしそうして恐怖のうちに距離を取ってしまえば、互いの間に理解の可能性はなく、ただ離別を選ぶことしかできません。恐怖は未知から来るものです。だからこそ、「諦めず、相手を理解しようと"試みる"」ことはとても重要だと、私は思うのです。まあでも、それで死んだら意味がないのは確かなので、ほどほどに。.

しかし、ほむらは、この世界が本当ではないことに気づく。 そもそも、敵がマジュウではなくナイトメアである。 まどかの存在を知らないはずのマミや杏子がまどかを知っている点など、おかしい点があるからである。. 重要なのは、鹿目まどかへの質問における回答の内容は、暁美ほむらにとって「自身の願いの内容の確認」にあたるということです。  鹿目まどかは、この質問を受け、(初対面のはずなのに、何かを知っているかのような素振りを見せる暁美ほむらに)戸惑いながらもこう答えます。.

なので、ほむらは まどかのいないこの世界に絶望していたと思いますが 、まどかにまた 会いたくて自殺を選んだのだと思います。. 引用するにはまずログインしてください ログイン 閉じる. ほむらが結界の存在に気付く 結界内部で暮らすほむらはやがて完全ではありませんが記憶を戻して行くことで結界の中にいることに気が付き、自分の住む見滝原という町から出られないことで結界内にいることを確信します。. 前後編において、暁美ほむらはこのような苦しみと、これに関連するいくつもの苦しみを越え、まどかが願いを成就するまでの道のりを成し遂げました。   その果てに彼女に残ったものは何だったのか。彼女は納得の末にこの結果を受け入れたのか。その解釈を委ねる終わり方となるのが前後編であり、彼女自身の受け入れ方を描いていくのが新編だと思うのです。 彼女の心情の変遷を解き解していきたい。当たり前のことですが、私は彼女自身ではなく、誤った代弁や推察にしても可能性を狭めすぎている節があるかもしれません。その際はお手数をかけますが、ご指摘いただければ本当に嬉しいです。.

次は、茂みからカサカサと音が聞こえほむらが振り向くシーンですがほむらはもういないはずのまどかが来たのかと思い振り向いたのだと思います。それほどまでにまどかのことを愛しているためあり得ないとは思っていても期待してしまうのでしょうね。現れたのは キュゥべえ であることが分かると、落胆しまどかがいたはずの方を(崖の左側)を向いてしまうほむら。. そうして暁美ほむらは、鹿目まどかの「キュゥべえに騙される前の私を助けてほしい」という願いや、まどかが守ろうとした世界を守るために戦う決意をした時と同様、また決意を新たにするのです。  鹿目まどかの本当の幸せのために、彼女を人間の姿に戻すことを。  しかし登場人物の誰もが、本当にそれを実行するその時まで、暁美ほむらの内心に気付かないままです。それはきっとその想いが、損得勘定や正常な判断を時には無下にするほどのものであり、希望でも絶望でもなく、本人以外の誰にだって理解することがあまりに難しい、愛と呼ぶべき衝動だからです。. ここの言葉についてですが、マユの塔での暁美ほむらの心情から、少しばかりの接続が必要になります。  暁美ほむらはインキュベーターに鹿目まどかを指一本触れさせないため、暁美ほむら自身が鹿目まどかに指一本触れられず、永久に彷徨うことを選択します。後の鹿目まどかに言わせれば、「独りぼっちになる」ことを選択し続けるのです。それを、鹿目まどかは「独りぼっちにならないでって、言ったじゃない」と窘めます。.

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しかし、ほむらは、この世界が本当ではないことに気づく。 そもそも、敵がマジュウではなくナイトメアである。 まどかの存在を知らないはずのマミや杏子がまどかを知っている点など、おかしい点があるからである。. 暁美ほむらの前にはたびたび、「過ちを繰り返さない(犠牲を出さない)」ことと「目の前の人の現在の感情を重んじること」という天秤が現れ、そして彼女は多くの場合、犠牲を出さないことや、鹿目まどか自身を守ることを選ぶのです。  暁美ほむらはあくまで、「あなたは鹿目まどかに関わる人間だから、危害は加えないよ」という損得勘定だけで動く人物ではありません。上述の通り相手に対して申し訳ないと思う気持ちは十分持っており、しかしそれよりも「過ちを繰り返さない」ことが重要であると考えているのです。これはループによる独特の価値観であり、やり直しの存在しない我々の世界からその常識を理解するのは難しいかもしれません。.

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引用するにはまずログインしてください ログイン 閉じる. なぜこのタイミングでだすのか何日か引っかかっていました。ナイトメアの夢の世界はほむらが自分が魔女になっていることを自覚したタイミングで夢から覚めています。であるなるならばこのタイミングでだすのはおかしいと思ってましたが、おそらくエンディング終わりまでを含めた内容がエンディング後のほむらが見ていた夢なのだと思います。誰が見ていた夢?の前にとかげが乗った看板のシーンがありますが左が Country of sweets (お菓子の国)で右が Good morning(おはよう)です。. 暁美ほむらは歴史をやり直すことで鹿目まどかの願いを叶えることを約束します。そもそも、暁美ほむらがここまで尽くせるのは、 「彼女(まどか)に守られる私じゃなくて、彼女を守る私になりたい」という契約の願い や、それを持つに至った、 1周目の優しいまどかとの記憶 にあり、そんな暁美ほむらの記憶は周回していくごとに薄れて行ったり、逆に強く積層していく過程を繰り返すのです。.

ここで、暁美ほむらにとっての「確認」は完了し、以前までのループの結末も考慮したうえで、彼女はこう解釈します。 「鹿目まどかの本心にとって重要なのは、今の生活を守り、誰も悲しませないことである」 。そうして、以下の言葉を返すに至るのです。. この内容をもっといろんな人に知ってもらいため、どんどん広めていただければ嬉しいです。 YouTube にもいずれ考察動画をあげたく編集の勉強中です。. 人は心底理解することができない物事に関しては、怒りを通り越して呆れるものです。呆れて、冷酷な目線を向けて、対象を滅ぼすことだってできます。ですが、暁美ほむらは終始インキュベーターの言葉に怒りを露わにしています。それは魔女の呪いを募らせることでしかインキュベーターを止められなかった、というの他に、 暁美ほむらにとってインキュベーターの言葉が、ある程度の図星を突いており、感情を増幅させなければその指摘に負けてしまうという恐怖を確かに認めているからこそ、彼女は怒るのだと思うのです 。.

初期稿においてはワルプルギスの夜(舞台装置の魔女)には、物語を作っている劇作家が登場する。そして、人々の悲しみを救うために、すべての登場人物をシナリオ通りに動かすことで、あくまで役者として存在させることで、悲しみを取り払わせる魔女という設定であった。 これはTV版では消えたが、興味深い設定だったと思う。. 今まで円環の理は観測出来ませんでした。 しかし観測できれば干渉出来ます。 干渉出来れば制御も出来ます。 研究が進めばやがて円環の理を支配することも可能になる。 そうすれば魔法少女は再び魔女化するようになり、エネルギー回収の高効率化が達成される。 また、ほむらの結界世界を観測した結果として希望から絶望の相転移エネルギーは予想以上のものであることが判明しています。.

ただし、目的は、あくまで、まどかの救済であった。 キュゥべえの狙いをまどかにつけさせず、かつ、まどかの孤独を救うためであった。 だから、まどかが、自分の役割を思い出そうとすると、必死に妨害した。 ほむらは、いずれまどかと対峙することになることを予想しつつ、彼女の願いはあくまでもまどかの幸せであった。.

ここの言葉についてですが、マユの塔での暁美ほむらの心情から、少しばかりの接続が必要になります。  暁美ほむらはインキュベーターに鹿目まどかを指一本触れさせないため、暁美ほむら自身が鹿目まどかに指一本触れられず、永久に彷徨うことを選択します。後の鹿目まどかに言わせれば、「独りぼっちになる」ことを選択し続けるのです。それを、鹿目まどかは「独りぼっちにならないでって、言ったじゃない」と窘めます。. 引用をストックできませんでした。再度お試しください 閉じる. 暁美ほむらは歴史をやり直すことで鹿目まどかの願いを叶えることを約束します。そもそも、暁美ほむらがここまで尽くせるのは、 「彼女(まどか)に守られる私じゃなくて、彼女を守る私になりたい」という契約の願い や、それを持つに至った、 1周目の優しいまどかとの記憶 にあり、そんな暁美ほむらの記憶は周回していくごとに薄れて行ったり、逆に強く積層していく過程を繰り返すのです。.

さやかも、まどかに救済された。 世界は再編され、魔女はいなくなり、代わりにマジュウとの戦いが行われていた。魔女に倒されたマミや杏子も死んでいないことになったが、ほむら以外(マミ、杏子)はまどかの存在の記憶もなくしていた。 ほむらはキュウべぇに、まどかの事を話した。. かなり引いたところからこの場面を見れば、「円環の理を経験した記憶のある鹿目まどかがそう答えるならともかく、その記憶さえ持たない人間としての鹿目まどかの言葉を鵜呑みにするのは早計すぎないか」と言いたくもなるものです。ですが、ここまで述べた通り、暁美ほむらは誰もが経験したこともないような時間遡行を経て、願いの対象である鹿目まどかが今どうなっているのか確認もできないまま一人で戦い続けており、そんな中ようやく現れた生身の鹿目まどかの言葉を信じるのはある種当然のことでもあると思うのです。そして、鹿目まどかの「一人は耐えられない」という言葉も、嘘偽りや虚言ではなく、あくまで真実の一側面ではある。  そうして暁美ほむらは、自分の苦しみの自白の時よりも、ひときわ大きな涙を流してこう考えるのです。.

結界を作ったのは誰か? 魔女が結界を作る本来の目的は外部から被害者を誘導して捕獲することです。 結界は広大ですが人間に危害を加えず、魔法少女達を閉じ込めているだけです。 今のところ誰も被害を受けておらず、その目的は現状維持のように見受けられています。. 新卒でいきなりブラック企業に入社してから数々のブラック企業を渡り歩いた途中でどさくさに紛れて営業マネージャーをやったり新規事業の立ち上げ等を行っていました。 投稿はその都度、興味の湧いたものを書いています。 他の投稿を表示.

私個人の感情を率直に述べるならば、暁美ほむらは「とんでもなくマブい」と言わざるを得ません。向こう見ずなところがあり、誰からの手も拒むような危ういところがありますが、それを天秤にかけても、自分の意思に忠実で、どんな障壁があろうとも疑念の払拭のためにたった一つの方法を選び続ける強さは貴いし、尊敬に値すると思います。彼女の説いた「愛」には確実に弱点があり、あまりに脆く儚いものですが、人間はそんなもんだよなあ、とつくづく実感させられるのです。そして、彼女が魅了された鹿目まどかもまた、底のない強い意志を持つ人物です。あまり共感されないのですが、私は前後編の結末で、鹿目まどかのあまりの優しさと最後の願いの選択に対し結構本気で泣きました。「一体この状況をどう覆すのだろう」というところで、ただのご都合主義な方法ではなく、暁美ほむらが辿った運命と決断を貴いと認めた上で、自らもその渦中に永劫飛び込んでいくことを決意したのです。それはあまりにも強すぎて、優しすぎる。これからの苦痛に対して向こう見ずで、それでも叶えたい意志に忠実で、そんな姿勢が途轍もなく美しかった。  ですが、危うい一面の部分は無視できないところです。とにかく二人とも石橋を叩く度合いが足りない。こうだと決めたことは突っ走るし、自分の行為は誰かのためになると信じ切っている節があります。それはやっぱり創作のキャラクターとして一貫していて素晴らしい点ではありますが、やはり現実の人間として近づけていくと、思い違いをただす前に事を起こしそうでヤバいな、というのが正常な判断だと思います。でもまあ、かっこいいので、やっぱり傍には置いておきたいとどちらといえば思います。.

暁美ほむらは、鹿目まどかの母親にも似た存在となる決意をしました。誰かに石を投げられようと、誰にも理解されなかろうと、想うはあなた一人、鹿目まどかの幸せのためならすべてを投げ出す覚悟で、この場面でとうとう決心するのです。誰も傷つけたくないという自分の感情に別れを告げ、鹿目まどかを助けることを、もうためらいはしないと。  また、そこに全くの欲望がないわけではありません。「独りぼっちにならないで」に対し、 鹿目まどかと二人でいられるという暁美ほむら自身の願いと、鹿目まどかの「人間でありたい」という真の願いの両方を達成できる方法として、悪魔になり鹿目まどかを無理やり円環の理から引きはがすことを選択するのです 。. 続編については、自分の考察では映画前後編で唯一死を描かれなかったほむらの死が最後に描かれ、 魔法少女 5人の物語はこれで完結と思っています。あるとしたらほむらのダークオーブに インキュベーター によるなんらかの仕込みがあり円環のまどかがピンチに陥るとか、その結果 インキュベーター を滅ぼしまどかも円環の役割から解放されるとか妄想はありますが、続編はないと思います。.

それを見抜いた暁美ほむらは、「鹿目まどかの願いを無下にし、支配するつもりならば、許せない」と逆上し、インキュベーターを攻撃します。その方法は、魔女の性質と使い魔の能力を強化すること。すなわち、自らの呪いを募らせ、鹿目まどかの救済を頑なに受け入れないことで、鹿目まどかと、鹿目まどかが守った世界を、またも守ろうとするのです。  インキュベーターは繰り返し、暁美ほむらに問い続けます。.

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